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ものづくりを極めるチームを目指して

時代に伴走しチャレンジを続けた70年

当社の創業は1958年。「有限会社松代塗装」として、塗装業から出発しました。以来70年余り、時代に合わせた様々なものづくりにチャレンジしてきた精神が、当社の土台にあります。
例えば東京オリンピックが開催された1960年代。カラーテレビの生産拡大に伴って東京の大手電機メーカーから依頼されたブラウン管のメッキ加工が、メッキ部門の立ち上げにつながりました。現在の電子部品事業の前身です。長野県内に多数ある電子部品メーカーからも多くの依頼をいただき、県内外さまざまなお客様のメッキ加工の要望に応えることが、技術の向上につながりました。1976年には、現在の精密板金事業の元となる板金部門が発足。1980年代に入ると、ロッカーやラックなど金属製家具の生産で業績を伸ばしました。
内陸に位置する松代は、臨海工業都市に比べれば輸送コストや利便性の面で不利な立地です。しかし常に時代のニーズを読んでお客様の要望に的確に応え、不利な条件を上回るだけの付加価値を付けることで、全国のお客様から信頼をいただくまでになりました。
今、社会で何が求められているかを見極め、挑戦する。その地道な積み重ねが、現在の当社を作っています。特に長野県内には、そうしたチャレンジングな企業が多いと感じます。信州固有の気質なのかもしれません。

代表取締役社長 宮澤義正
代表取締役社長 宮澤義正

当社の創業は1958年。「有限会社松代塗装」として、塗装業から出発しました。以来70年余り、時代に合わせた様々なものづくりにチャレンジしてきた精神が、当社の土台にあります。
例えば東京オリンピックが開催された1960年代。カラーテレビの生産拡大に伴って東京の大手電機メーカーから依頼されたブラウン管のメッキ加工が、メッキ部門の立ち上げにつながりました。現在の電子部品事業の前身です。長野県内に多数ある電子部品メーカーからも多くの依頼をいただき、県内外さまざまなお客様のメッキ加工の要望に応えることが、技術の向上につながりました。1976年には、現在の精密板金事業の元となる板金部門が発足。1980年代に入ると、ロッカーやラックなど金属製家具の生産で業績を伸ばしました。
内陸に位置する松代は、臨海工業都市に比べれば輸送コストや利便性の面で不利な立地です。しかし常に時代のニーズを読んでお客様の要望に的確に応え、不利な条件を上回るだけの付加価値を付けることで、全国のお客様から信頼をいただくまでになりました。
今、社会で何が求められているかを見極め、挑戦する。その地道な積み重ねが、現在の当社を作っています。特に長野県内には、そうしたチャレンジングな企業が多いと感じます。信州固有の気質なのかもしれません。

一人ひとりの声を生かし、力を合わせる

ものづくりには一人でじっくり取り組む職人技のような面もありますが、社員それぞれの力を合わせることで、いっそう高い品質のものづくりが実現します。つまり、良い仕事にはチームワークが不可欠。調和を大切に、ものづくりを極めるチームでありたいと考えています。
当社の特徴の一つに、社員全員が「業務改善提案」を行えるシステムがあります。作業手順のこと、備品のこと、清掃のことなど、どんな小さなことでも構いません。提案された内容は、提案者の名前入りで社内に提示します。2人以上の連名や、工程を担当するチーム全員で提案する社員も多いです。提案の数は毎年増加し、現在は1年で2600件ほど。社員1人あたり、毎月4件の提案をしている計算です。